ポストコロナと国際バカロレア教育 オンライン授業ありなしで格差拡大必至
IB認定校、オンライン授業始まっています!
新型コロナ肺炎(COVID-19)の感染拡大が止まりませんね。
今日は、子供達のオンライン授業の様子から始めたいと思います。
まずは多くの亡くなってしまった方にお悔やみを申し上げます。
また、現在闘病されているすべての方へお見舞い申しあげます。
2月27日に開催された「新型コロナウイルス感染症対策本部」にて、「小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校における全国一斉の臨時休業を要請する」方針を内閣総理大臣が示したことで、3月2日から全国の小中高に臨時休業要請となり、教育の現場が大荒れになっていることはご存じのことと思います。
子供達の教育環境は、本当に大きな(悪い方向での)影響を受けていると思います。
本当に深刻なことだと思います。
うちの子供達が通っている国際バカロレア一貫校でも、3月2日から休校の措置が取られました。
終業式(卒業式)、始業式(入学式)の2日間は登校日でしたが、3月2日以降今現在も休校は続いています。
でも!
おかげさまで授業を受けられています。オンラインで。
やはり傍らにいる母親が感じることは、オンラインとはいえ、学校生活がある時とない時の差です。
学校生活がある方が、やっぱりイキイキしてます。
友達や先生の話が聞こえてきます。
心が安定し、楽しそうです。
朝ちゃんと起きて規則正しいです。
教育格差をコロナがさらに拡大させる
さて、おかげさまでうちの子供達は授業を再開することができておりますが、日本全国どこの学校も授業再開できているでしょうか?
ポストコロナ、アフターコロナ。
新型コロナが収まった後の世界で、学びの機会を与えられていた子供達と、学びの機会を失った子供達の間に、大変な差が生じてしまっているのではないでしょうか?
東京の妹弟や友人達に聞きますと、東京でもオンラインで授業やっているところもあるけど、そうでないところも沢山あるようです。私立であっても。
また公立小学校は、事が深刻かもしれません。
特に自分で行動を律するのがまだまだ難しい小学生。
特に親がどちらも働いている場合などは、非常に厳しい状況です。
身内が言うに「全然勉強してない。」と。
いや、してないんじゃなくて、できないんだと思います。かといって母親も金融機関で休むわけにいかないのです…
3月、4月
まるまる2カ月間勉強していなければこれは大きな差になってしまいます。
何のために勉強するのか見出せない、宙ぶらりんな状況が続いてしまっているように思えます。子供なので本人はそこまで考えていないでしょうが。
勉強しないからといって外で友達と遊ぶわけにもいかず、向かう先はゲームか…
こうした状況はなんとか早く解決しなくてはと思います。
しかし、公立校は本当にオンライン授業できないのでしょうか?
公立の学校では熊本市と岐阜県が乗り出したとの記事を見かけたことがあります。
なんとか良い事例を共有し合って、全国に広げて欲しいです。
早急に!
ポストコロナ時代の教育に求められるもの
今、私達人類は見えない敵と戦っています。
多くの人の命を奪う憎い相手ではありますが、皮肉なことにこれまで気が付かなかったことに気づかされたりもします。
経済活動が止まってしまった代わりに、久しぶりの青空を目にすることになります。
ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗らなくてもできる仕事があることに気が付きました。
ポスト・コロナでは、失ってしまったものも沢山あるけれど、 デジタル・ディスラプションならぬ「コロナ・ディスラプション(disruption)=創造的破壊」ともいえる革新的なイノベーションを起こせるチャンスでもあるかもしれません。
いや、そうあるべきです。
そういう時必要なのが、ゼロから作り上げるイマジネーション力。
これまで日本人が得意だったのは「既存の技術やモノやサービス」を、持ち前の繊細な感性でより良いものに変えていく能力。
これはこれで素晴らしい。
けれどマイナーチェンジにしかならないし、既存がすぐに過去のものとなってしまうスピードの中では、すぐに時代遅れとなってしまいます。
残念ながら私がそう。
それもこれも「みんなと同じでなければダメ」的な教育が元凶と考えてしまうのは私だけでしょうか。 「みんなと同じでなければダメ」 は 私も含め、多くの日本人に染みついているのではないでしょうか。
もっと自由に発想し、突き詰めて学ぶ場が急務。
国際バカロレアではそういう教育をします。
答えは1つではない!
いや、国際バカロレアじゃなくてもいいです、そういう教育なら。
Why(なぜ)を大切にする持続的な探求心。
自らの意思で学び、クリティカルに振り返る。
ポスト・コロナ時代には、そんな教育の場を。
子供達には学ぶ権利があります。
良質な学びを。
将来この国を引っ張っていってくれる子供達に、学びの環境を設けていくことは私達大人の責任です。